イソップ童話 - 獅子の分け前
イソップ物語「獅子の分け前」を読むにあたって,ロバの視点,キツネの視点,(物語の外の存在としての)読者視点によって以下のような読み方ができます
- ロバ視点:自分の力量を十分に自覚して,付き合い方に気をつけろ
- キツネ視点:ロバの災難という他人の経験から学べ
- 読者視点:強者が弱者を働かせて,成果を独り占めしてしまうたとえ
このように視点を変えることで,物語から得る教訓を豊かなものにすることができます. 物語という間接体験から学ぶためには,
- 自分がどのような視点にいるのか?
- その視点のキャラクターはどのようなキャラクターなのか?
を理解する必要が有ります.物語の登場人物になりきって,ロバのような最後を迎えたという経験をしたとしても,獅子に対して,ロバの立ち位置(被捕食者になりうる弱い存在)ということがわからなければ「自分の力量を十分に自覚して,付き合い方に気をつけろ」という教訓を得ることは難しいでしょう.ここから次のことが言えます:
- 経験そのものが貴重なのではなく,そこから何をどのように学ぶかが肝要
- 経験から学ぶためには,自分の立ち位置を理解する必要がある(=自分を知ることの必要性)
▶ 物語を読むにあたってのポイント
- いつ,だれが,どこで,なにを,どうしたを整理すること
- 登場人物の行動や性格,見方や感じ方や考え方を捉えること
- 上記2点を踏まえた上でどのような心情変化が起きているか捉えること
自己認識と経験
経験から学ぶためには自己認識が必要であるとわかりましたが,この自己認識というのは容易なことではありません. 目に見えるような外見的特徴であれば,物理的鏡を見ることでわかるかもしれませんが,能力であったり気質であったり目に見えないものを 写してくれる鏡が必要となります.
この鏡の一つとして,他者の目というものがあります.他人の目に写った自分を通して自分を認識するということになりますが, これは他人との関わりという経験を通して自分を認識することを意味します.
となると,「自分を知る,ということは,経験を通じて知る以外に知りようがない.ただ,経験から学ぶためには自分自身を知る必要がある」という 循環論法が今ここで発生していることになりますが,このような経験と自己認識の循環の中で人間は生きていると思います.
自己意識の持ち始め→経験→自己意識の修正→経験→…というように,自己認識と経験は不即不離の関係を持っていると言えると思います.
Appendix: Phrase Table
Japanese | English |
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前車の覆る(くつがえる)は後車の戒め | A wise man learns from the mistakes of others |
不即不離 | not too close, not too distant. It conveys a sense of maintaining a balanced and harmonious relationship, where neither party is overly attached nor completely detached. |
(注意:GitHub Accountが必要となります)